英語術2

<目次>

11.    BEIS   2002.07.14

12.    間口と奥行き   2002.08.11

13.    イントネーション2002.09.23

14.    質問回答なんて簡単だ2002.11.2)

15.    閑話休題  (IASTED   日本人の英語の能力Bostonにて)  2002.11.13

16.    閑話休題 (IASTED   発表と質問回答Bostonにて2002.11.16

17.    国際会議のランチとディナー2002.12.14

18.    どこで切るか、そして前置詞か後置詞か2003.01.01

19.    日本語とハンガリー語  (2003.01.20)

20.    国際人  (2003.02.08)


11.    BEIS   2002.07.14

 私の親友、アメリカ人で、世界中多くのブロ-クン英語を聞き話している男から次の手紙をもらった。彼は、イタリア、南アフリカ、チリ、スペイン、日本など、多くのブロークン英語に精通した男である。

 

Thanks very much for agreeing to speak to them. 

The person who will contact you said that he speaks Japanese so it shoud be much easier.  

(I am the only one in America who understands BEIS!)

彼らと話してくれるって! ありがとう。

彼は、日本語を話すといっていたので、話は、問題ないと思うよ。

(イタさんのBEISが分かるのは、アメリカ中で、俺だけだ。)

 

  大体、shoudはおかしい。Shouldのはずだ。ネイティブは、私の様に、WORDの文章チェックをする必要がないので、こういうことになる。この点だけなら、私の英語の方が、間違えが少ないはずだ。

 このメ-ルは、親友からの「ある人と話してくれ」という依頼に、「ok」と返した後の返事である。元々、全く通じないのであれば、彼は頼んでこないはずだ。頼んできたのは、私の英語が通じるからだ。このメ-ルで初めて、相手が日本語も話すことがわかった。つまり、イタクラッている英語は通じる。安心してほしい。

 

 さて、このBEISという言葉、大変便利であるので、教えておこう。

 BEISは、「Broken English International Standard」のこと。これは、ある時、イギリス人と昼食のときに出てきた言葉である。そのときは、気にしなかったのですが、後で何かのときに思い出した言葉です。したがって、語順を誤って再生しているかもしれません。そんなことは気にしません。

  昔、ロンドンのプロジェクトの会議で、冒頭に「I speak BEIS, that is Broken English International Standard」と言ったら、ドッと笑いが起きました。その足で、オランダのテレコム会社での講演で同じことを言いました。たった、一人、女性が笑いをかみ殺していました。周りが笑わないので困った風でした。この例では、英国の聴衆は、英語が母国語、オランダの聴衆にとって英語は、第二外国語です。違いが、はっきり感じられました。大多数にとって、英語は、高々、第二外国語なのです。

次に、この言葉が便利なのは、この一言から、日本語と英語の文法の違いや、ハンガリ-語と日本語の類似点などの話に巻き込めます。特に、ランチやディナ-で、相手の話に巻き込まれると分からなくて往生します。ランチやディナ-では、話の範囲が専門外に及びます。突然、分からなくなる。そういう時は、自分のわかっている話題に引き込むしかないのです。

日本でも使えます。外人と居酒屋に行ったと思ってください。「Broken English International Standard」の「international」を、「Japanese」に変えると、もっとひどい英語のニュアンスになります。「Itakura」に変えると、イタクラッている英語になります。他の人の出身地に変えると、あらゆる種類のブロ-クンを英語で表現することができます。たとえば、「Broken English 河内 Standard」というわけです。

 最近、これを使うとき、「しかし、中身は優れているから良く聞け」と付け加えることにしています。アメリカ人風に、「おれは優れている」と相手を脅かすことも、重要なテクニックです。そう言うと、自分でも、自分の話に自信が持てて、英語の下手が隠れていきます。イタクラッている英語でやってみましょう。

 

    I speak BEIS, Broken English International Standard.

What I would like to say is excellent.

So please listen carefully and guess what I want to say from my BEIS.

 

お粗末でした。

 

12.    間口と奥行き   2002.08.11

  欧米と日本は、ものの考え方が違うようだ。「ようだ」というのは、残念ながら、まだ、複数の欧米人に確認していないからである。簡単で、うまく説明できるな具体的事例をあげられないので中々確認できていない。

今日は、私の経験から一つを紹介して、考えてみようと思う。

  思うに、学会などで欧米の人の話を聞くと、しばしば、つまらない。なぜ、こんなアバウトなことを言っているのだろうかとよく思わせられる。一方、彼らにとって、日本人の発表は、つまらないらしい。なぜ、こんなチマチマしたことをいうのだというわけである。これを一言でいうと、日本の発表は、奥行きが深く、欧米の発表は、間口が広いということができそうだ。

  他の例をあげてみよう。10年ほど前だが、ニューヨークに行った。米国のある銀行は、24時間ATMが使えるという。いろいろ、聞いていくと、24時間預金から引き出せるが、その日の入金分は引き出せないという。また、米国では、封筒に入った100ドル、200ドルといった決まった額が出される。つまり、確かに24時間下ろせるが、その日の入金は、出せない。生活習慣は、小切手が基本だから、現金はあまりいらない。そこで、このようなシステムでも、十分な訳である。

  さらに、いくつか聞いてみた。

「24時間であれば、夜中に現金がなくなったときの現金の補充はどうしするのか」

      →当然そこでおしまい。夜中に、現金輸送などしたら、人命がいくらあっても足りない。

「夜中に機械が壊れたらどうするのか」

      →機械は、壊れるものだ。当たり前ではないか。

というわけである。

  日本では、当時、どうすれば、“24時間サービス”ができるかを一所懸命考えていた。上のような、夜中の現金切れ対策、故障対策等々チマチマしたことを検討していた。ところが、米国では、そんなことは関係ない、24時間サービス可能ということで、さっさと24時間と言っているのである。24時間の奥行きの深さは、日本の方が深い。だが、これができることが24時間であると考えている日本は、サービスできないのだと思われてしまう。その結果、米国の方が、間口が広い。

  もともと、この考え方の違いは言葉からきていると考えている。英語での名前の表現は、稔  板倉の順である。個から家族へと段々、大きくなっていく。住所も、同様、最後がUSAである。日本語では、これが逆になり、段々小さくなっていく。つまり、絞り込まれていくわけである。奥行き方向に考える言語であるということができる。

  次に、日本語の文法を思い起こしてみよう。日本語では、目的語が先に出る。いつか話した通りである。目的語が先にあって、それをとうするか考える。つまり、目的を掘り下げていく形になっている。「駅にいく」は、駅があってその対象をどうするか、つまり、奥行き方向に考えているのである。

  英語では、どうだろうか。「私」が、先になる。私の周りには、広がりがある。私の周りは、360度、上下どこも、私の周りである。つまり、拡散的、間口を広げる方向に考えるというわけであろう。

  ハンガリー語では、氏名、住所の順が、日本語と同じである。欧州の周りの国々の人は、あそこの言葉は、何か違うということをいう。したがって、ハンガリー人の考え方が、日本に似ているかどうかを調べると、この仮説の一般性が高まっていく。だが、ここは、未調査である。

  さて、本題に戻る。このような考え方の違いは、どちらがよいのかという疑問が残る。その答えは、多様であることが、地球の生態系の安定の鍵であることを考えれば、両方ともに価値があるということだ。問題は、日本からの発信が少なすぎる点であろう。

  私の論文が載っているデマルコの本(ホームページ9項のリンク集の9)に、日本のコンピュータソフトウェア産業事情「The computer software industry in Japan」という論文が同様に載っている。その解説に、It (日本の銀行システムのことである)was so huge and so fast and so functional. It was in fact, the very online teller system that our largest banks still trying and failing to build almost a full decade later

挙げ句の果てに、

There is almost nothing published in English about Japanese software methodology.

Tajima and Matsubara(論文著者) have come along with this fascinating peek into a truly different world

我々は、違う世界の人間らしい。だから日本的が世界に出て行けるし、出て行かなければ、民族としての存在意義が薄まってしまう。だから、この論文は、違う世界に導いてくれるのだそうだ。

 今、米国の銀行システムがどうであるか、知らない。しかし、我々のやっていた開発方法、プロジェクト管理等々で世界最先端を行っていたことを我々自身が知らなかったのではなかろうか。

 ()に向かって話すことを、もっとしよう。

 

13.    イントネーション2002.09.23

 ある時、米国ニュージャージー州のエジソンと言う町で、Lavalleyさんという人と、彼の事務室で話していた。帰るので、受け付けまで来たら、忘れ物を思いだした。

受付嬢に、「ラバリーさんに連絡してくれ」と言った。

 そうしたら、

「そんな人はいない」と言う。

「そんな馬鹿なことはない。今まで、彼の部屋で話をしたのだ」と主張したが、

「居ない」の一点張りだ。

  そうこうしている内に、当のラバリーさんが歩いてきた。受付嬢氏は「おー、ミスター  バーリ」「バ」を高く(強く)発音した。全く、このイントネーションと言うやつは、難しい。

  日本で私の部下になったアメリカ人某君は、「有楽町」で電車を降りようと思っていた。「ゆうらくちょう」と平板に言われたので、分からず乗り過ごしてしまった。てっきり「ユー ラクチョウ」「ラ」が強調されると思い込んでいたそうだ。

  全体的に、日本語の発音は、抑揚が少ない。平らである。一方、英語は、抑揚の占める部分が大きい。

 

  「知のモデリング」に、アルバート メーラビアン氏の調査をあげた。氏の調査では、

   言葉だけで伝達する部分                    7%

   抑揚・音調で伝達する部分             38%

   ジェスチャーで伝達する部分          55%

だそうである。

 

 この調査は、英国の学者によっているので、英語を対象とした調査だと思う。英語では、言葉を使う時の抑揚・音調の役割が大きいようだ。したがって、日本語の感覚で、これを理解しようとしても出来ない。平らに「ラバリーさん」と言ったのでは、通じない。

  多くの日本人が、この平らな発音をすることで、ネイティブの人に、この日本式発音を馴らさせてしまいたいものだ。

 

14.    質問回答なんて簡単だ2002.11.2)

  日本で、もちろん日本語で会議をしているとき、質問に対して頓珍漢な回答をしていることが良くある。それは、「都合が悪いから頓珍漢に答えちゃえ」と言うのもあるかもしれないが、たいていの場合、一所懸命、正しく答えようとしている。それでも、頓珍漢になってしまう。質問の意を、正確に理解することは、日本語でもそう簡単ではない。

  日本語でもそうなのだから、英語ではもっと事情は悪そうだ。例を示そう。昔だが、フランスのコングロマリットが、ベンチマークに日本に来て会議を持った。先方は、フランスとカナダから5人である。内、英語が出来るのが3人、残りはフランス語しか話せない。日本側は、3人。私と、もう少し英語が出来るのと、米国の大学を卒業した若い男の3人である。

質問の内容は忘れてしまったが、質問を受けた時、分かったつもりで、即座に答えた。そうしたら、隣の男が、板倉さんの答えは質問と違うと言う。それでは、「お前が答えろ」と言うことで彼が答えた。最後に、三番目の男が、二人とも違うと言う。彼は、米国の大学を出た男で一番英語が出来る。彼も答えた。結局、3人が答えた訳だ。

その結果、私と、二番目に答えた男の話を、フランス側は、メモしていた。しかし、3番目の男の答えは、メモをとらなかったのである。おそらく、三番目の英語は最も分かりやすかったが、また、質問の回答にもなっていたが、メモをとる必要が無かったと想像できる。このことから、2つのことが言えそうだ。

(1)    英語が出来ても、中身が無ければ、メモもとってくれない。

(2)    質問に、まっすぐ答えなくても、相手の役にたつ事がある。

 ようするに、先方は、ベンチマークにきているわけである。質問に正しく答えなくても役立つことがある。もちろん、場合によりけりであり、契約などでは、誤解は、許されない。ベンチマークや、方法論などでは、ひょっとすると誤解した方(された)が良いかもしれない。瓢箪から駒と言うことにもなりうるわけである。

 

(1)   番目の「・・・メモもとってくれない」は、このホームページを作った第一の目的である。「もちろん、TOIECのレベルは高い方が良い」に決まっている。しかし、どこまでの語学力が必要だろうか。300点を400点にするのは、比較的容易だが、700点を800点あるいは、800点を900点にするのは、そう容易ではない。その最後の10%の為に、専門への時間を英語に当てるのは、本末転倒だ。英語より、中身にもっとエネルギーを注げ」と言いたい。

(2)の「質問にまっすぐ・・・」は、この項の答え、「質問回答なんて簡単だ」である。

つまり、中身のある話をすれば、質問と多少外れていても、相手の役にたつのだと言う事である。具体的には、次のようにする。

(1)   一度は聞き直してみる。

(2)   二度目は、質問か意見かを確認してみる。

(3)   その後は、いくつかの聞き取れた単語から、「こういう質問をしたのだな」と推測する。

(4)   その推測で答える。

 

多少、答えがずれているかもしれないが、役に立つはずと信じてしまえば良い。

  初めての海外発表では、質問を受けて立ち往生することがある。相手の話が分かるのは、大変な事なのだ。1度は聞き返しても良い。2度目は、質問か意見かを聞いてみる。そうすると、相手がこちらのレベルを理解するはずだ。そうなれば、相手は、レベルを合わせてくれる。しかし、相手が合わせてくれないときは、分からない。例えば、相手が、私を理解できようと、出来まいと、どうでも良い話題、あるいは、その程度の人物と判断されてしまったときだ。

 

15.    閑話休題  (IASTED   日本人の英語の能力Bostonにて)  2002.11.13

 先日、BOSTONMITで行われた国際conferenceにで発表してきた。もちろん、イタクラっている英語を、存分に使ってきた。その様子を話すことにします。

 

  2日目に、その会議のディナーがあった。そこで、元MITの教授で、今はその学会の責任者をしている人と話した。年の頃、60後半であろうか。その人と、他のカルガリーからの二人と2時間ほどたのしい会話させてもらった。

 

  元大学教授、曰く、「日本人は、頭が良い。言っていることはわかっているらしい。しかし、一言も話さない。論文発表も、読むだけだ。質疑応答もできない。なぜだ。」

 

イタクラっている英語ながら,今まであった日本人と違う人間に会ったからだろう。このような質問を受けて、次の様に答えた。

 

 「日本人は、学校の英語教育で、文法中心に教えられる。また、生徒が、間違えると、直させられる。そのせいで、間違えてはいけないと思い、構文を、正しく頭の中で、組み立ててから言おうという癖がついているので、会話の速度についていけない。さらに、本当は、思ったことを、いえばよいのだが、思ったことを直接言葉にすると、日本語では、目的語が先にでてしまう。これが、この問題の原点だと思う。私は、この日本人の癖を直したいと思って、いくつか活動をしている。」

 

次に、「日本人は、電車の中で皆寝ている。なぜだ。みんな疲れているのか。年寄りばかりではない、みんな寝ているので、みんなが疲れているのか。珍しいから、写真をとってきたよ。」

 

  これは、同様な質問が私にとって、3人目である。「あるイギリス人は、日本人は立ってでも寝ている」と称した。西欧人にとっては、これが、相当不思議らしい。日本人にとって、特に、Take a nap程度寝るのは趣味だ。特に、疲れているわけではない。第二に、日本では、電車の中が安全だ。たとえば、パリで寝てはみろ。洋服までとられてしまう。日本では、網棚の上の荷物もとられない。本当は、西欧の人も、寝たいのではないか。

 

その後、さまざまな話題について、2時間に渡って議論が続いた。最後に、なぜか、写真をとってくれ、メールで送るとのこと。

 

繰り返すが、決して英語の能力だけではない。中身だ。いつも考えていることは、その場で出てくる。

 

特に、第一の質問は、日本人は、間違えても良いから自信を持って英語で話さなければいけないと言う私のホームページを始めた動機を補強している。

 

16.    閑話休題 (IASTED   発表と質問回答Bostonにて2002.11.16

  私の発表は、最終日の最後のセッション7編の真ん中という最悪の時間帯なので、聴衆が来るか心配であった。しかし、20人程度の各国からの人々が集まってくれた。話の内容は、仕様書等から、特徴だけを抽出してネットワーク図にすると、コンパクトに機能を表現できる。また、その導出過程を客観的にしたと言う話である。

会議模様を紹介しよう。

 

(1)       チェアマンが、自分で紹介しろと言う。そこで、紹介の一つに、BEISを使ったが、ドイツ人らしき人しか笑ってくれなかった。

(2)       質問が適度にでた。質問がでたと言うことは、プレゼンが分かったと言うことだ。イタクラっている英語が通じた訳である。

(3)       質問回答も、イタクラっている英語で答えた。

 抜き出した特徴が、大きくなったらどうするか。減らす方法論を持っているか。(オランダ人)

   (「抜き出した特徴が、大きくなった時、・・・。」ここまでは聞こえた。その先は、聞き取れなかったが、勝手に、こいつは階層構造の表記を期待していると感じた。そこで)

  いいえ、大きくなったら、大きな紙を使うしかないだろう。階層構造で表記すると、一覧性がなくなる。それは、好ましい方法ではない。単位面積当たりの表現高い能力の表示が必要で、必要なら大きい紙か、小さい字を使う。

  一つの言葉が、これだけ大きくなると、言葉の意味が重要になる。どうしているのか。(スェーデン人)

  (これは、ほぼ、完全に聞きとれた。西洋的な質問で、良い質問だと感心した。言語表現に強い西欧であるから、こういう質問が出るのだろう。言葉を共有することで答えようととっさに判断した。)

  KJ法で、複数で議論しながら決めている。したがって、適切かどうかは、分からないが、少なくとも言葉の共有が出来る。

 この図からソフトウェアモジュールのつながりが分かるか。(オーストラリア人)

  この質問は、2回答えて、やっと納得してもらった。

  (最初、要求と設計、仕様の中にビジネスルール、・・・が聞こえた。そこで、business rulesが散在しているのをどう関係つけるかと聞かれたと思った)

まず、ビジネスルールを、フラットに書き出す。特徴というキーワードが重要でだ、どこに存在するかは、問題ではないと答えた。

(My qustion isときたので、質問を誤解したと理解した。trace abilityが聞こえたので、やっと分かった。要求と仕様のtrace abilityの質問と理解した。)

確かに、この図は、ソフトウェアの機能の関係をトレース出来る可能性を秘めている。しかし、現段階では、future workだ。我々は、実世界に対象を絞った。また、対象をソフトまで広げると一覧性にも問題がでる。

 

その後、③の質問をした男に、コーヒーブレークで、つかまった。要求からのトレーサビリティを研究しいている。昔見つかったアルゴリズムで、何かができるようだ。重要な問題であるが、難しさを強調したので議論になってしまった。しかも、20分以上。そこで、I WANT TO SMOKE. SORRY.といってやっと逃げた。

 

  会議の場での質問も、本気で集中して聞けば、大体の意味は分かる。もし、答えが違っていても、本当に知りたければ、ロビーで聞かれる。。

 

 今までホームページで述べてきたイタクラっている英語の最近の事例である。学会のロビーの使い方も、書いてきた通りです。ロビーで、フランス、米国、ベトナム、オランダ、台湾、韓国、カナダの人々と話した。話のきっかけは、「この会議で話すのですか」、あるいは、「どこから来ましたか」でよい。英語は、「英」語ではなく、「英語と言う名の共通語」なのです。

 

17.    国際会議のランチとディナー2002.12.14

 発表が終わってホッとしたら、ランチになった。また、最終日の前日ころにウェルカムディナーがある。あるいは、会議が終わって、ディナーを食いに行こうと言う話しになる。

ここで、大変困るのである。学会発表や、会議は、話題が限られている。テクニカルタームも多い。したがって、使われる英語の語彙は、少なくて済む。また、会話が、科学技術やビジネスの話しであり、文化の影響を受けにくい。

 ところが、ディナーとなると、どんな話しでも飛んで来る。アメリカのスター、政治家、歴史上の人物等々どこにでも飛んで行ってしまう。 こうなると、会話は、英語の力よりも、世間話を知っているかどうかにかかってしまう。私は、大体において、日本でも、タレントがどうしたなどは、知らない。それを英語で、かつその国の話しになるのであるから、どうにも対応出来ない。相手も、一つ一つ説明していたら、面倒くさいし、第一会話が弾まない。こういう時、どうするか。手を教えよう。

 簡単なこと、「自分の話題に引き込め」である。私の場合、直近では、BOSTONで、相手が、私が日本人と分かった時、「日本には、不思議な現象がある」と言ってきた。「日本では、自動車がなぜ、皆きれいで新品同様なのだ」。そこから始まって、世界の自動車比較論、自分の自動車等々、車の話がひといきり続いた。そこから、電車に移り、「日本人はなぜ、電車の中で寝るか」と言う議論になった。その後、言語の話し「ハンガリー、フィンランド、日本の言葉が似ている。これらには、前置詞がない」と言う話題に移った。等々、次々と自分の得意な話題に持ち込んだ。

文化の色のついた話しであるが対象は日本である。相手がこちらを分かろうとしているのである。こちらのペースで進められる。相手は、多くは、日本について見たり聞いたりしたことを説明し、何がらちがうかを話して来る。大体分かる。FENのニュースも、知っていることを英語で聞くと分かる。こちらの専門領域なので、相手の反応が読める。英語が聞き取れなくても、大筋、大通りを通って話が弾む。

この伝で引き込む話題をいくつか持っていると良い。私の場合、「血液型の話」、「言語の違い」、「日本文化論」、「車の話」がある。これらは、大体、共通に楽しく会話ができる範疇だ。血液型は、欧米人は興味が無いと言うのは本当だが、話しの持っていき方では、乗って来る(著書「スーパーSE」のコラムを参照願いたい)。

この方法の問題は、提供が多くなり、得るものが少ないこと。また、ひょっとすると、ランチの時間に食べるのを忘れて話していることになってしまうことが起きうる。知っているのも、情報提供者も、私なので、話す時間ばかりで、しかも、英語。伝えるのに、日本語の3倍くらいのエネルギーがいる。食べる時間がなくなってしまう。相手は、ちょっと質問するだけだ。

ランチで、中国系のアメリカ人と話しているとき、他の人が、食べ終わって立ってしまったのに、私の料理に手がついていない状況になった。日本語だと手抜きかできるが、英語だと、中々、うまく手抜きが出来ない。

一方で、ある時、ドイツ人ばかりのグループのテーブルに、一人私が入った時があった。彼らは、ドイツ語で話している。時々、隣の男が、英語にしてくれる。その後、また、ドイツ語に戻る。この時は、飯は食えたが、会話にならず、寂しい思いをした。結果、早く食べてしまったので、早々に、失礼してきた訳だ。つまり、場所を選ばなければならないが、西欧の人種、いや、その人の国籍が外観で分かるはずが無い。したがって、コーヒーブレークなどで、あたりをつけておくと良い。

フィンランドでは、NOKIAの英国に勤めている男とコーヒーブレークで知り合った。もう一人、オーストラリアからの美人と知り合った。その後、ランチは、ほとんど、かれらと一緒。これだと、間違えがない。ただ、ロビーで話しているときに、相手が興味を持ってくれないとこういうことは出来ない。そのためには、普段から、専門以外のことも考えておくことだ。たいてい、学会などで母国以外からきている人は、一人できている場合が多い。夫婦同伴でも、ランチでは一人だ。したがって、話し相手を求めているのだ。適当に英語が話せて、その国の文化を背負っている人を求めている場合が多いようだ。

時々、意図的に相手に乗るのも作戦だ。そんなときは、こちらが話したくても、飲み込む。

 

18.    どこで切るか、そして前置詞か後置詞か2003.01.01

  本項、名前と実際があわないので変だと思っていたので調べてみたが、結局、分かりませんでした。したがって、読む意味もないかもしれません。

 

  ニューヨークで、ある会社の説明を聞いた。何を言っているか全く分からない。30秒か、1分くらいしたら、発表者が「ここから、英語に切り換える」といった。つまり、その間、サービスの為に、日本語で話したつもりだったのだ。おそらく、ローマ字で書いたのを、一所懸命、読んだのだと思う。我々の英語もそれに近い。

 別の会議で、ある男が、私が何を言ってもキョトンとしている。10分くらい経ったら、こちらの癖が分かった様で、ちゃんと反応してくれるようになった。BEISに馴れるまで時間がかかる様だ。国際会議の発表など、15分しか持ち時間がないような場合、聴衆が私の英語に慣れる前に制限時間になってしまう可能性がある。日本人の英語の特徴を事前に相手に学んでおいてもらって、私の発表の時にはすでに慣れてしまっている世界にしたいな~。このホームページの目的である。

さて、なぜ分からなかったのだろうか。次の5つの可能性がある。

(1)    発音

(2)    イントネーション

(3)    切り方

(4)    文法

(5)    言葉の選択

 

  ここでは、切り方に注目してみたい。

 

 最近不思議に思うことがある。Inbywith等を、pre-positionという。確かに、preは前でpositionは、位置だから、前置詞と訳しておかしくない。しかし、idiomを憶えるとき、たいていは、動詞の後ろについて、セットで憶える。いくつかあげてみよう。

  Have to

  Come up with

  Be interested in 

  Be going to

 

この憶え方が正しければ、前置詞というより、動詞の後置詞という方が理解しやすい。なぜ、前置詞というのだろう。先に進もう。後置詞か前置詞かで、文章の切り方が違うはずだ。

   例えば、I am interested in mathematics. をどう発音するだろうか。

(1) interested  in の間で息をつぐ。( / は、息継ぎマークとする)

      I am interested / in mathematics. 

(2) in mathematics の間で息をつぐ。

I am interested in / mathematics. 

 どちらもあるらしい。らしいというのは、NHKの英会話を聞いていると、両方ある。しかし、憶え方では(2)の方しか聞いたことがない。もし、(2)の方が自然だとすると、前置詞というより動詞の後置詞と言うべきだ。

 Idiom以外で調べてみよう。

I am from Japan.は、どうだろうか。

(1)   I am / from Japan.

(2)   I am from / Japan.

どうも、(1)の様な気がする。

 (1)だとすると、前置詞でありそうだ。

  疑問文、where are we going to? は、物理的に後にあるべき名詞がない。

 

 考えてみたが、結局、法則は見つからなかった。仕方がないので、日本語で調べてみる。

(私は、日本から、来ました。

(1)    私は日本か、ら来ました。

(2)    私は日本、から来ました。

 

  両方共、おかしい。こう考えてくると、日本語の「てにをは」は後置詞らしい。

残念ながら、英語の前置詞は、後置詞であるという証明は出来なかったが、文章を、どこで切るか、通じるために重要な要素であり、たくさん聞くしかないのかな。

 

 19.    日本語とハンガリー語  (2003.01.20)

 英語は、世界共通語の地位にある。一般に、外国人は、英語が第二外国語の人々も、英語が上手い。我々とつきあう人々だからかもしれないが、なんとなく、他にも理由がある様な気がする。

他の一つの理由は、日本語と英語の距離が遠い(文法が違い、語源を共通するものが無い)ので中々上達出来ないからではないかと思った。日本語と英語の距離の問題ではないのかを知りたいと思った。そこで、まず、日本語の文法に似た言葉があるのかを調べてみた。

  ある人は、複数の外国語を同時に習い始めると進度が早いと言う。私は、英語で手一杯なのでやったことはない。しかも、例えば、ドイツ語と英語は似たようなものだ。「グーテンタッグ」と「グッドデイ」は似ている。「ボンジュール」と「ボンジョルノ」も似ている。彼らが習うのは、比較的容易なのかもしれない。欧米人にとっての2つの外国語と日本人にとっての2つの外国語は違う様に思う。欧米人にとって、日本語が難しいと言うのも、両言語間の距離の様な気がする。

 言語学者によると、日本語は、膠着語と言われ、モンゴル、日本、韓国、トルコ、ハンガリー、フィンランドが仲間であると言われている。膠着語は、前置詞の代わりに、「駅に」の様に後置詞がつく。

  昔、ブタペストに行ったとき、ハンガリーでは、「塩」のことを「シオ」と言い、「水」のことを「ミズ」と言うことを聞いた。これを確かめたかったので、2000年に、横浜で開かれた「世界ソフトウェア品質会議」で出会ったハンガリー人に聞いてみた。ちょっとイントネーションが違うが、確かに、「シオ」「ミズ」であった。

 最も基本的な物質の名前が同じと言うことは、大昔に共通する何かがあったのであろう。氏は、日本とハンガリーは、数万年前のルーツは一緒だと言っていた。ただ、これは怪しくて、多分、ジンギスカンがユーラシア大陸をほとんど支配したときののこりではないかとおもっている。もちろん、これも、確証はない。

  以下、ハンガリー人氏とメールでやり合った一部である。後置詞があって前置詞が無いことは、共通しているが、文法的にはずいぶん違うことが分かった。何となく、我々の英語が中々上手くならないのは、距離ではなくて違う理由がある様な気がしている。

 

(以下、受け取った返信に、日本語でコメントをつけました。)

 Dear Mr. Itakura,

 

As to your questions about our languages you find my answers below.

 

I am very interested in Hungarian and Japanese. If possible, Please let me know the follows.

 

(1) What is Grammatical sequence in Hungarian? 

  (English)_I will go to the station. (S V preposition O) 

  (Japanese) I the station to go will. (S O postposition V) 

     「私は、駅に行きたい」の順は、単語を置き換えると上のようになる。

  (Hungarian) I go will the station-to. (Postposition attached to the word)

      日本語にも英語にも似ていない様だ。

 

(2) Same question, in negative sentences. 

  (English)_I will not go to the station. (S V preposition O) 

  (Japanese) I the station to go not will. (S O postposition V) 

  (Hungarian) I not will go the station-to.

       否定が分のはじめの方にある。色々組み合わせがあるものだと感心した。

 

(3) Same question, in question. 

  (English)_What is this? 

  (Japanese) This what is? 

  (Hungarian) What this (is)? or This what (is)? (In these sentences "is" is omitted in Hungarian)

  これは、同じだ。日本語でも「何、これ」また、「これ何」って言う。

 

(4) How do you express address? 

  (English)_9200 Research Blvd. Echelon, Austin, Texas USA (street town city states national: become larger) 

  (Japanese) Japan Tokyo Shinjuku-ku Nishiochai 1-2-10 (National states City Town Street: become smaller) 

  (Hungarian) Family name, "first" name, (Mr/Mrs/Ms), (profession), (zip code), TOWN, street, house number, (COUNTRY) 

 これも同じ、住所表示は、段々小さくなっていく。

 

(5)If you know some similarities between Hungarian and Japanese, please let me know. 

(1)    Family name first. 

(2)    Postpositions used, but in Hungarian attached to the word.

(3)    Postpositions used, but in Hungarian attached to the word.

(4)    .Long vowels used, e.g. long Japanese o (o with a stroke up) corresponds to long Hungarian o. ( = ó )

(5)    .In Hungarian stress is always on the first syllable of the word. Is it the same in Japanese?.

 

Maybe we could find a lot of similarities if we would know both languages simultaneously.

 

最後に、ハンガリー語のページです。

http://www.hungarian-language.com/std_002.html

 

20.    国際人  (2003.02.08)

  日本で「国際人」と言うと、英語で話せる人と考える人が多いと思います。この定義は、話しの中身については何も言っていません。

  日経夕刊の2003120日の「レッツ 英語」と言う記事に次の様な記事がありました。

『米国の現地の生活で感じたのは「アメリカ人」や「日本人」はいるが、「国際人」は、どこを探してもいなかった。・・・帰国後、子供の漢字力の遅れにショックを受けた。・・・日本人として生きていくには、まず日本語が出来なくてはいけない。(42才女性)

  「国際」と言う言葉は、多分、福沢諭吉かそのころの人の発明だと思います。「International」の直訳です。しかも、前後が反対になっている。「national inter」です。すばらしい翻訳だと思います。

  「国」との間「際」です。「際」は、「きわ」と言う意味で、interです。つまり、nationalが無ければ「きわ.」も無いのです。NATIONALは、国よりも、「民族」に近いかもしれません。「国に特有な」と言う雰囲気があります。でも、良い造語だと思います。

  この言葉から分かるのは、国際の条件の第一は、国があることです。人で言えば、日本人であることです。日本人、つまり、国、あるいは、nationalがあって、初めて、「際」があるのです。NATIONALが無ければ、その間の「際」もありません。

  昔ですが、アメリカに住んでいた人と話したことがあります。そのとき、奥さんが地域にとけ込んだのだそうです。それは、華道と茶道が出来た体と聞いています。近所中の評判になって、人気者になったそうです。この人は、少なくとも、行く前は、英語が出来なかったけれど、日本の文化を身につけていました。日本文化をキーに、友人をつくり、言葉を覚えたのだと思います。この話は、国際人であるためには、まず、最低限の条件、日本人であることが必要だと言うことを示しています。

   22日の日経の朝刊に、「語る現在史」と言うコラムがあります。そのなかに、『オーストラリアのハンソン議員は、観光関係の仕事をしていて、日本人との接触があった。「豪州は、移民を入れすぎ、日本と比べて自分の文化の誇れるものが育たなくなってしまった」と言うことを標榜して当選した』と言うことが書いてありました。今は、落選してしまったそうですが、ハワード首相に、「豪州のよりどころは、多文化主義より、西洋的価値観である」といわせるまでになったそうです。これも、国際人の条件の第一は、自国人であること、つまり、日本では、日本人である必要があると言っています。

  英語をしゃべる人口は、10数億人だそうです。しかし、そのうち、ネイティブは、23億らしい。米国の人口は、2億ですが、移民が多く、ネイティブで話す人は2億杯無いはずです。イギリスは数千万人だったと思います。ということは、ネイティブな英語を話す人たちより、外国語として英語で話す人々の方が多いと言うことです。つまり、英語は国際語で、ネイティブは、英語の方言といってしまいましょう。ネイティブの英語は、国際語ではなく、単に、アメリカ方言あるいは、英国方言とでもいうべきでしょう。国際語としての英語は、日本風英語、インド風英語、ドイツ風英語なのです。

  最後に、TOIECの話しをします。TOIECで、700点以上取ったひとは、ひょっとすると、英語で考えた方が考えやすいかもれない。「かもしれない」と言ったのは、私は、まだなったことが無いからです。990点の人は、天才で無い限り、すでに日本人でなくなってしまっている可能性がある。つまり、国際人の第一の条件を無くしてしまった可能性がある。私は、630点なので、700点以上になったことがありません。本当は、わかっていませんが、ひょっとすると、そういう事かもれないと思っています。したがって、英語の勉強は、今のレベルを維持する以上の事は、していません。つまり、VOA(リンク集のやさしい英語を話すWEBサイトです)と、朝の、NHKの英会話を聞くこと、それから、米蘭の友人達とメールで世間話をしている程度です。

高々道具である英語は「イタラクッている英語」で十分なので、度胸で話してみましょう。